2000年生まれの長男1号はドッジボール→バスケ→ラグビー野郎
2002年生まれの次男2号は剣道男子→今はなんかヲタとかクイ研とか色々。お父さんは飼猫氏。
日常と読書の記録。
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2003/12/4
自転車で行くの!
ここのところ、自転車で行きたがる。
どちらでもいいんだけど、本音を言えば。
2号が歩きはじめなので、外歩きの練習を兼ねられる幼稚園の送り迎えは、歩いて行って、ゆっくり2号の手を引きながら帰ってきたい。
ところで、自転車で行きたがる理由は、簡単。
「クラスで一番早く着きたい!」
んだそうだ。
だから、歩いている途中で同じクラスのRちゃんが自転車です〜っと追い越して行ったり、目の前の曲がり道を一足早くTちゃんが曲がってきたりすると、すごい悔しいらしい。
「きょーはTちゃんの方が早いの!」
とか言いながら一生懸命歩く。
といいつつ、一緒に歩いていったりするのは嬉しいらしいんだけどね。
まずは1号よ。もう少し早く起きるとか、もう少し早くご飯を食べるとか、「いないいないばぁっ」が終わってからと言わずテレビを見ないで幼稚園に出かけるとかそういうことをすればもっと早くつくと思うぞよ。
? posted by Yumikoit at 08:58 pm Comment [3] TrackBack [0]
2003/12/3
1号 - 0歳 5ヶ月
カテゴリー ≫ 子ども日記 » 成長・発育:過去の記録
ますます活発になり、ベッドの上でごろごろと寝返りをする。
排便の習慣もきっちり決まっていて、朝6時半頃に毎日するという几帳面さ。
離乳は、もともと始めたばかりだったし、手術に備えて一時中止。
人見知り、ではないが、分離不安が強くなった。ベッドの上にいる分には機嫌がいいのだが、所用(買い物、トイレ、オムツを捨てに行く、その他もろもろ)でベッドを離れることを極端に嫌がる。
周りにもお母さん、いるのにねぇ。
ベッドから一歩降りるそぶりを見せただけで号泣。
「すみませ〜ん!今から泣きま〜す!」と宣言して降りるので、毎回他のお母さんの失笑を買う。
昼寝も、時々薄目を開けたりして確認しているらしく、1号の顔の向きにいれば、本を読んだり手仕事をしていてもいいんだけど。視界にいないとぱっと起きて泣き出す。
面白いので色々試して遊んでいた。
寝返りしてだいぶ上半身を高く持ち上げられるようになり、動き回りたい様子。
手術の前の日、たまたま点滴が外れたので半日くらい自由の身。
この日、初めてのズリハイ。
何度も這い回らせて、MPEGを撮った。
この時期、同室のお友達にとても恵まれる。
お母さん方も気持ちのいいお母さんがたが多くて、まるで女子高の合宿のようで楽しい。
なんと一時は3人も同じ病気の子供たちが!
術後は、腹部から膀胱からの導尿の管(ドレーン)が出ていたので、ハイハイ禁止!
這いずり回りたがったらどうしようとも思ったが意外とグズらない。
下腹部からのドレーンが抜けてからは、どんどん動き回っている。
12月末、私が中耳炎を起こしてしまう。抗生剤服用のため、母乳をやめることにする。
まぁ歯も生え始めたし、離乳をその分頑張ればいいや。
と思っていたら、缶詰のフルーツポンチのシロップや大人向けの苺ヨーグルトを、飼猫氏が1号にあげているのを発見。そういいつつ実は私も、ストロー練習は紙パックのジュースがいいと聞き、早速売店で紙パックのりんごジュース(当然大人用)を買ってきて、薄めもせずにそのままあげてみる。
しょっぱなから大胆な離乳になりそうである。
この時期の1号。
離乳は一時中止。
手術の前後はどうせ授乳制限が入るしね。
入院中の同室の同じ月齢のお友達が、近所だと知り、とても嬉しい。実際、退院後はよく遊び、1歳くらいまでの間の一番の仲良しとなる。
5ヶ月目の中旬からハイハイ習得。しかししばらくハイハイできない日が続く。
歯が生え始めたのも、5ヶ月目の末。下の前歯から。
あと3日で満6ヶ月になる日の身体測定
体重:7170グラム
? posted by Yumikoit at 08:48 pm
1号 - 0歳 4ヶ月まで
カテゴリー ≫ 子ども日記 » 成長・発育:過去の記録
だいぶヒトの顔を認知できるようになり、私と飼猫氏の区別をするようになる。
どうやら寝るときは私でないとだめなようで、退院後も飼猫氏がミルクをあげていると途中でやめて、母乳が来るのを待つようになる。
やれやれ。
それでも飼猫氏がよくかまって遊んでやるので、起きているときは飼猫氏が大好き。飼猫氏が帰宅すると必ずひざの上に乗っている、という感じ。
さて、入院中に寝返りができるようになった。
それまではどうしても身体の下敷きになった手が抜けなかったのが、下がベッドで柔らかかったせいか、うまく抜けるようになったのである。
しかしまだ、うつ伏せから仰向けに戻れず、よく泣いている。うひひひ。
退院してからそろりそろりと離乳開始。
そもそも、離乳準備をほとんどしていない。
果汁も重湯もめんどくさくてあげていない。さてどうなるやら。
4ヶ月3週目。
一足遅れた4ヶ月検診に行く。
体重:6900グラム
身長:64センチ
発育順調。まぁそもそも、投薬の関係で 病院で定期的に体重測定をしているので、あまり心配はしていないが嬉しい。
そうそう。この日に偶然、水腎症が「小児慢性医療疾患」の指定だと知ったんだ。
で、保健所に早速書類を取りにいく。次の通院で診断書をお願いしてみよう。
翌日、ツベルクリン。
ぼ〜っとしていたので初めての予防接種。やば〜ぃ。
ツ反のときには泣かなかったが、BCGはピィ、と泣く。
初めての予防接種で刺激が強かったのか。久しぶりのひどい夜泣き。
ウンチをする時にもひどく泣くので、少しおなかを壊しぎみかなぁとおかゆとヨーグルトだけをあげる。
食欲はすごく、ある。ぺろりと全部平らげて足りなそう。
昼過ぎから38度近く発熱したので、すぐに採尿パックを貼って病院へタクシーで急ぎ連れて行く。
尿をひと目見て、素人ながら判断できた通り、案の定、尿路感染症につき即入院。
あと5日で5ヶ月に入るという日だった。
この時期の1号。
相変わらずうつ伏せが大好きで、寝返りができるようになると四六時中、うつ伏せになるようになった。
あちこち見えるのがいいのかな。得意げ。
外出も好き。
あぅ、あぅとよくお喋りする。
体重もよく増え、発育も問題なし。
満5ヶ月の体重測定
体重:7040グラム
? posted by Yumikoit at 08:45 pm
靴下はおもちゃなの
午前中で保育が終わりで、午後のクリスマス会の間は自由保育。
勿論、幼稚園で遊ぶのが大好きの1号も保育をお願いして、その間に私は2号を連れてクリスマス会へ。
さすがに、というか、よく考えると必ず週中には起こることなんだけど。
帰ってからの1号は眠くて眠くて仕方がない。
眠いんだったらさっさと昼寝でもすればいいものを、グズグズと遊んでいる。
眠そうだから、早めに夕食にしようね、と言っても あのテレビ見る、だのなんだのと一向に夕食に応じようとしない。
案の定、夕食の時間にはもう眠くてたまらず、一応食べたものの、食べ終わるなり
「僕、眠いの」
とテレビの下に行ってごろりと横になって寝てしまう。
さて、布団に1号を移動した後は2号の時間。
リビングを縦横無尽に遊びまわり、時々1号の様子を確かめに行く。
遊んでくれ、と私のひざによじ登る。
ふと外出の時に履いたままの靴下が気になったらしい。
つま先の部分を引っ張るので、手伝って脱がせてやるとにまぁっと笑った。
ついでに裸足になったつま先も、引っ張ってみる。
それも脱げるんかぃ!
それからおもむろに、脱いだ両方の靴下をぐるんぐるん振り回し始めた。
面白かったらしくて、けらけら笑いながら振り回している。
? posted by Yumikoit at 08:00 pm Comment [2] TrackBack [0]
1号 0歳 5ヶ月−水腎症4 手術
風邪気味だったし、大丈夫であって欲しいと思いつつの採尿は、素人目にもわかるほどの白濁。一面に澱。
あ〜。これはだめだなぁと、尿検査の結果が出る前に飼猫氏に「入院になりそうだよ」と電話したくらい。
案の定、白血球数1万以上。尿路感染症の再発である。
即入院。手術を覚悟する。
- 入院2日目
- 熱が下がる。
- 入院3日目
- 予想通り手術を勧められる。
まず尿路感染症を完全に治してから、手術のスケジュールとなる。
おりしも、11月末。
尿路感染症が治るのに通常2週間みているので、早くて手術の日程は12月中旬。
手術は、膀胱と尿管をつないでいる付け根をいったん切り離して、もう一度つなぎなおして、尿の逆流を治すものである。
術後 尿管が浮腫んで排尿が困難になる期間があるそうで、これを回避するために術後しばらくの間、尿管に管(ドレーン)を通して導尿するのだそうである。
ドレーンが取れて退院となるのは、年明けを覚悟しなければならないのか。 - 入院7日目
- 尿から雑菌が消える。
ちなみに尿路感染症の原因となった雑菌は、エントロバクターとかいう腸内細菌だったらしい。
前回の尿から検出されたMRSAは今日はなくなっていた。
手術を控えているのでほっとする。
一方、便が乳白色になってきた。
院内でロタウイルスが流行っているとのコト。
ただ点滴も入っているし、食欲もある。心配はなさそう。 - 入院11日目
- このころ、手術の術前検査としてレントゲンや心電図などを色々とっている。
心電図は特に、泣くとうまく取れないらしい。心配したが、うまい具合に泣かず、一発で検査オッケイ。 - 入院12日目
- 逆流の検査。
私も放射線防護の衣服?を着せてもらい、検査に立ち合わせてもらう。
検査中、放尿があると逆流の様子がよくわかって、いいらしい。検査終了直前に放尿。よしよし。
点滴のついた方の手が、わずらわしいらしくいつも舐めている。
おかげで差し替えが頻繁。
生後5,6ヶ月は、手足の脂肪も厚いので、挿す場所に苦労するらしい。 - 入院18日目
- 手術当日。
授乳は早朝3時まで。
糖水を朝6時まで。
7:00 導眠剤などの薬。少量の水。
8:50 手術室入室。
昼過ぎまで手術室から出てこなかったので心配だったが、出てきたK医師がにっこりと
「いやぁ、いつもより丁寧に縫いましたから」
とギャグをかましてくれる。
K医師はこの大学病院の泌尿器科で特に乳幼児の経験が深いらしい。
太くなっていた尿管も多少縫い縮めたということだろうか。一安心。 - 術後4日目まで
- なかなか熱が下がらず心配するが、抗生剤を変えたこともあり、下がり始める。
授乳制限は翌日から徐々に量を増やし、術後4日目に完全に授乳制限がなくなった。 - 術後7日目
- 膀胱からのドレーンが抜ける。
オムツへの排尿も順調。
機嫌もよく、よく笑う。
- 術後2週間
- クリスマス翌日。
手術の成果を判定するための逆流の検査。
結果良好。
この頃、私が出産後から抱えていた蓄膿症が悪化。中耳炎になる。
抗生剤服用のため、母乳断念。
まぁ歯も生え始めたし、この機会に段乳、離乳に打ち込むことにする。
1号は別に泣き叫ぶこともせず、平気でミルクを飲んでいた。 - 術後17日目
- 病院の仕事納めの日に退院。
? posted by Yumikoit at 07:07 pm
2003/12/2
あしたは、もういっかい、よーちえんいくの。
ナニ入れようかなぁ。
弁当に凝る気はないけど、朝作るのはせわしくて忙しいし。
朝作る分と今日の残り物入れる分と考えながら夕食作り。
うん。だいじょーぶ。完璧。
夕食を食べながら1号が言う。
「あしたは、もういっかい、よーちえんいくの」
…はぃ〜?? なんですとぉ???
幼稚園から毎月渡されているスケジュールのプリントを見返す。
うお〜〜〜。忘れてたっ。
明日は保護者会のクリスマスだから11時半までの保育だっ。
一回お迎え行って、お昼ご飯食べさせてからもう一度つれてって、保護者会のクリスマス会だぁ!!!!
1号に指摘されてはじめて思い出しました…とほほ…。
? posted by Yumikoit at 08:02 pm Comment [2] TrackBack [0]
2003/12/1
1号 - 0歳 3ヶ月まで
カテゴリー ≫ 子ども日記 » 成長・発育:過去の記録
後になってみんなに、大変だったねって言われるけど。
何よりよかったのは、定期的に体重を測ってもらったり、発育上のこととか担当医に訊けたこと。
担当医のグループは3人から構成されていたが、このうちの一人、のちに通院時にも担当となるI女医は発育過程もよく確認してくれて本当に安心だった。
また、心配していたジクジクしていた臍も、この入院中に毎日消毒してもらってあっという間によくなった。
入院時には不便なこともたくさんある。
相部屋もそのひとつだとよく言われている。
1号が入院したのは、「あかちゃんべや」と俗に呼ばれている主に乳児が入る8人部屋。
最初の数日はその「あかちゃんべや」のうち「感染部屋」と呼ばれる発熱している子、咳のある子、主に感染する病気の子が入る部屋だ。その後、熱が下がると「非感染部屋」に移る。
みんな急の発熱やら何やらで、動転していたり、いろいろ悩みがある。
私のように余裕のない育児をしている人。
色々なお母さんを見て、話をすることができる。
ああ。私だけが大変じゃなかったんだな。と実感できて、本当に楽になった。
生後6ヶ月くらいまでは、なかなか家の外に出る機会がない。お母さん友達も、地元にいるならともかく、その土地に住むようになって2,3年ではそうそうすぐにはできるものでもない。
今になれば、市の赤ちゃん教室とか色々な場所に行くことで、お母さん友達を増やしたり発育上の心配も解決できると知っているが。
そういう意味ではこの入院とその後に続く通院は、私にとってとても有意義だった。
この時期の1号。
比較的落ち着いている。
うつ伏せになるのが大好き。午前中特に機嫌がよい。
夕方になると機嫌が悪くなるが、歌を歌ったり色々した。
うちわで強弱をつけて扇ぐのが大好き。
授乳は、2ヶ月ごろから混合になる。
これは今後の入院の可能性を考慮して、飼猫氏の授乳にもなれてもらうため。
よって、夜寝る前、風呂に入れて投薬。そしてミルクを飲んで寝る、と言う流れ。
この時間なら、飼猫氏がいることが多いからね。
昼間は、ほとんど私の母乳。
3ヶ月と3日経った日の体重測定
体重:5930グラム
? posted by Yumikoit at 08:40 pm Comment [1]
1号 - 0歳 1ヶ月まで
カテゴリー ≫ 子ども日記 » 成長・発育:過去の記録
おまけに子供も生まれたときからぐびぐび飲む子はそうそういない。
生後6日目にしてやっとおっぱいを飲めるようになった1号。
病院内の助産婦さんの
「お母さん、これなら母乳だけでイけますね」
の一言は、退院後の私にとっては結構ストレスになったかも。
初めての子は、とにかくお母さんも余裕がないので一つ一つの事柄が気にかかる。
私の場合には、オムツかぶれと授乳量が増えないこと。あとはへその緒が取れた跡が、ずっとじくじくしていて治らなかったことだ。
よく吐いたのは、意外と気にならなかった。
オムツかぶれの方は、実母のアドバイスで 市販のお尻拭きをやめて、脱脂綿にお湯を含ませて拭くようになってよくなった。
とにかくよく泣く。昼間は15分おき、30分おきに泣くのでちょっとも休めない。
母乳の量が足りないのかと、ミルクを与えても20とか30しか飲まなかったので、授乳量も心配。
今になって思うと玄関先に連れ出して外の風に当てたり、抱っこするとそんなに頻繁には泣かなかったので、腹が減っていたよりは単に退屈だったのか。
とにかく、今思えば何の心配もない元気な子だったのだけれども。
その時はそんなことも考えなかったので、とにかく何をすればいいのかわからなかった。
夜、比較的寝てくれたことだけが救いだった。
夏の暑い時期だった。
1号の逸話としては、出生後の退院の初日。どのくらい着せればいいのかわからなかったので病院と同じように短肌着の上にもう一枚着せて、布団をかけていたら、帰宅後30分くらいで顔がユデダコのように真っ赤になってしまったというのがある。
1号は暑がり、と言われているゆえんである。<根拠は、この時点では特にない。
ただ、それ以来、とにかく1号には着せすぎるな、が合言葉になる。
これは後日の発熱時にも有効だったが。
話は戻って、とにかく何で泣いているのかわからない。
歌を歌ったり抱っこして外にいったりして毎日しのいでいた。
ようやく授乳の期間があいたな、と思った日のことである。
昼過ぎから発熱して、最初の入院となる。
? posted by Yumikoit at 08:37 pm
1号 - 妊娠〜誕生
カテゴリー ≫ 子ども日記 » 成長・発育:過去の記録
5週目にしてはっきりと心音が確認でき、飼猫氏曰く
「オレはここにいるぞって主張していたやつ」。
嚢腫の方は、安定期に入るのを待って嚢腫の組織だけを吸い出す簡単な手術を受けて準備万端!?
それを除けば、つわりも何もなく本当に快適な妊娠期間だった。
出産は部分麻酔。子宮筋腫のときからずっとお世話になっている担当医H氏の執刀。
先の分娩が長引き、午後一番の執刀の予定だったのに手術室に入ったのは午後4時近く。
20分ほどで1号誕生。大きな泣き声。
事前に、帝王切開の場合には、産道を通り抜けてこないため羊水をうまく吐き出せずに、出生後すぐには泣き声を上げない赤ちゃんもいると聞いていたので、とても嬉しかった。
出生後私の最初の一言。
「せんせー。指、五本ありますか???」<おぃ。
勿論五体満足の、元気な子です。
なぜか手術中も和気藹々?と担当医と会話を交わしている私。
「いとーさーん。筋腫の手術跡も卵巣もきれいだから、このまま閉じとくねー」
「はーい。よろしくお願いしまーす」
見ようによってはスプラッタだなぁ。
妊娠38週。予定帝王切開にて誕生。
帝王切開の理由は、母体に子宮筋腫の手術歴があったため。
生まれたときの1号。
出生時の体重:2848g。
身長:47cm。
母子共に健康。
? posted by Yumikoit at 08:33 pm
一回は登れるようになったけどね。
やっと登れるようになってこの1ト月ほどえらい喜んで毎日のように登っていたくせに、先週くらいから上で怖がって泣くようになった。
そういえば、自転車の後ろの補助いすも、幼稚園に行くようになってから自分で登るようになっていたんだけど。
あ。勿論、私が自転車を支えていないと自転車ごと倒れるから、支えてるけどね。
これも先週くらいから登るのを怖がるようになった。
登るのに慣れてきて、周りを見回す余裕ができたってコトなのかな。
まぁ一過性のものなのだろうと気長に見ている。
? posted by Yumikoit at 08:04 pm TrackBack [0]
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