そういえば我が家の不思議。
1号はずっと鼻がかめなかった。
「はぃ。お鼻シュン、してね」
と言ってティッシュをあてがっても
「いや!できない!」
という感じで。
2号のほうが先に、1歳半くらいから「おはな、シュン」ができるようになって
「2号はエライねぇ。上手にお鼻かめるねぇ」
と言っていたら数週間後から、4歳過ぎにしてようやく1号もどうやら鼻がかめるようになった。
ところがその後、2号が鼻をかまなくなった。
「はい、シュンしてね」
と言っても「いや!」と拒否するのである。
しばらく待っていたら、2号も安定して「シュン」するようになった。
2人とも今はまだ、ティッシュを鼻にあてがうという動作は親掛かりだが、それでも2人とも何とか鼻がかめる。
この冬の時期には非常に助かるのである。
しかし比べるわけじゃないんだけどね。何で、2号が先だったのかなぁ。
2000年生まれの長男1号はドッジボール→バスケ→ラグビー野郎
2002年生まれの次男2号は剣道男子→今はなんかヲタとかクイ研とか色々。お父さんは飼猫氏。
日常と読書の記録。
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テレビの無い日
昨日、なかなか片付けないでテレビをボ〜ッとみている1号、1号に全てを任せて「かたづいた〜ぁ?かたづいた〜ぁ?」と踊っている2号に切れて
「お前らあしたは2人とも、子ども番組とビデオとDVDはなしだぁっ!」
と宣言。
子ども達が寝たあとで
「しまった。それらを禁止すると私の時間が全く取れない」
と毎度おなじみの?後悔を元に今日が始まる。
幸いに、午前中は1号の幼稚園お友達がやってきてみんなで遊ぶ。
2号と同じ年のEちゃんもいっしょ。同じ学年、しかも女の子というのは2号にとっては貴重な存在。
昼過ぎからは私は2号と昼寝。1号はレールで遊んでいたらしい。
昼寝から覚めて遊んでいる途中とか、午前中お友達がいるときに何度か、2号は
「ぷられーる、びでおだめ?」
「でぃーでぃーでー、みた〜い」
とか言っていたが、1号が予め納得して淡々としていたのとこちらが断固として
「あんたが昨日、きちんと片付けられなかったからだよね」
と言い続けたので、ヒステリー起こして泣き喚く、というほどでもなく。
昼寝をしたおかげで、私も2号も夕方機嫌が悪くなくて、それもよかったのかもしれない。
おかげで子ども番組の声が一度も響かない、静かでよい一日でありました。私も朝のニュース番組以外見られなかったけどさ。
う〜ん。クセになりそう:) 私が。
「お前らあしたは2人とも、子ども番組とビデオとDVDはなしだぁっ!」
と宣言。
子ども達が寝たあとで
「しまった。それらを禁止すると私の時間が全く取れない」
と毎度おなじみの?後悔を元に今日が始まる。
幸いに、午前中は1号の幼稚園お友達がやってきてみんなで遊ぶ。
2号と同じ年のEちゃんもいっしょ。同じ学年、しかも女の子というのは2号にとっては貴重な存在。
昼過ぎからは私は2号と昼寝。1号はレールで遊んでいたらしい。
昼寝から覚めて遊んでいる途中とか、午前中お友達がいるときに何度か、2号は
「ぷられーる、びでおだめ?」
「でぃーでぃーでー、みた〜い」
とか言っていたが、1号が予め納得して淡々としていたのとこちらが断固として
「あんたが昨日、きちんと片付けられなかったからだよね」
と言い続けたので、ヒステリー起こして泣き喚く、というほどでもなく。
昼寝をしたおかげで、私も2号も夕方機嫌が悪くなくて、それもよかったのかもしれない。
おかげで子ども番組の声が一度も響かない、静かでよい一日でありました。私も朝のニュース番組以外見られなかったけどさ。
う〜ん。クセになりそう:) 私が。
? posted by Yumikoit at 09:56 pm TrackBack [0]
オレンジだけが果物じゃない
ジャネット・ウィンターソン著・岸本佐知子訳
出版社 国書刊行会
発売日 2002.06
価格 ¥ 2,520(¥ 2,400)
ISBN 4336039623
「わたしには家がない 」の解説で紹介されていたので読むことにした。
頑迷で古い迷信に凝り固まった宗教…彼女の場合にはキリスト教原理主義…の下で育った結果、彼女は学校とか地元社会とか、そういった一般的な意味での社会生活に馴染むことができなかった。そしてそれを当たり前と思って育った。
幼い時の自分自身を通して過去を振り返っている著者は、それらの整理できない自分自身の感情を、昔ばなし風のエピソードや聖杯探検の伝説やそういうものでモチーフ的に表している。
子どもの時は誰しも、親の一方的な思い込みや考え方の押し付けの中で生きている気がする。それが理由付けのあるものであれ、もっともな理由のあるものであれ、「親の生きてきた環境」「親が信じて育ってきた環境」を一方的に押し付けられているのは子どもだ。
ある時、子どもはそれ以外の世界もあり、親の言う理屈だけで世の中が動いているわけではないことを知る。
子どもにとって外の世界が魅惑的であればあるほど、そして親の作った世界が強固であれば強固であるほど、その殻を打ち破るものかもしれない。
緩やかに。でも信念を持って。それでいて他者には狭義的ではなく。新しい概念はその場で退けるでもなく、かといってなんでも一方的に受け入れるでもなく淡々と。
そういうのが、あこがれる世界である。
? posted by Yumikoit at 09:29 am Comment [1] TrackBack [0]
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