国道6号から山側に折れた先にあるので、震災後お彼岸で墓参りをした姑舅からはお寺さんに大きな被害はないときいている。
震災後は有料道路を使っていたらしいが、今回は1号のリクエストもあって閖上街道を行く。
私が、学生時代毎日学校に通うのに通っていた道だよ、というと飼猫氏が自分も通勤通学に通っていた道だ、と言う。
両脇はずっと田んぼだったはずのところは、背の高い草はらになり、それもところどころにつぶれたクルマが落ちていたり海岸の防風林として植わっていた松が流されてきていている。
ガードレールは折れ曲がり、時々黄色と黒のロープが張ってある。
このあたりは見渡す限りの平野で、高いところというと有料道路くらいしかない。海は砂浜で、沖の方にテトラポットなどで防波堤になるものがあり、砂浜のこちら側に7メートルかそこらの防潮堤と松の防風林、貞山掘りと呼ばれる水路があった。去年までは両脇の田んぼの向こうには、あっちに集落、こちらには林と木立が並び、海まで見えることはなかった。木立の向こう側にわずかに松林が見え隠れし、海までは見えなかったのだ。それらをすべて越えて波は来たらしい。
しかし、現在はほとんど木立や森は見えない。稲の植わっていない田んぼの向こうにスカスカに歯抜けになった松が見えるばかりである。
大きながれきはほとんど片付けられ、時々防潮堤のようにうずたかく積み上げられた山が見える。田んぼのあちらこちらに流されてきた松が無残な根っこをこちらに向けている。
基礎だけになってしまった家、1階を水が通ったらしく1階ががらんどうになってしまった家。集落はなくなってしまったのだろうか。青々とした草木の生い茂る田んぼがかえって痛々しい。
6号近くの市営住宅は、水が通った後片付けに訪れる人もいないのか、ガラスがなくなった窓の奥は家財道具や流されてきたがれきが積み上がったままだ。
墓参りを済ませたあとで親戚を回る。周りの山肌は削られ、仮設住宅が並ぶ。震災の時、その後の余震での話になる。
高台にあった親せきの家からは、上がってくる波が見えたそうだ。
その後、四方山 に上った。
小中学校の遠足、高校でも春の遠足でここに登っている。
このあたりは湧水が豊富で、水道水とは別に飲料用料理用として湧水を利用している人も多く、友達も震災直後、ガソリンがなくなるまではここまで水を汲みに来ていたと言っていた。
遠くに広がる田畑は、緑のところに混じってぼつぼつと茶色く変色した田んぼが広がる。防風林は歯抜けで、海が見渡せる。集落は数が減ってしまった。
小学校で初めてこの山に登った時の光景と、なんて変わってしまったんだろう。
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