最近の1号のはやり言葉。
「ごみそうさま!」
これを食事が終わる時に言う。
あまりに元気に言うので茶々を入れたくなる。
「ゴミそうじさま?」
「ちがう!ごみそうさま!」
「ごみひろいさま?」
「ちがうの!ごみそうさま!」
「ごみみたいなごはんさま?」
「げへへ〜。ご・み・そ・う・さ・ま!」
…確かにゴミみたいなごはんはいやだなぁ。
2000年生まれの長男1号はドッジボール→バスケ→ラグビー野郎
2002年生まれの次男2号は剣道男子→今はなんかヲタとかクイ研とか色々。お父さんは飼猫氏。
日常と読書の記録。
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あかりの花―中国苗族民話
君島久子再話・赤羽末吉画
出版社 福音館書店
発売日 1985.01
価格 ¥ 1,260(¥ 1,200)
ISBN 4834001164
最近昔話づいてるなぁ。
というわけで今日は中国の昔話。
働き者の若者が、汗水たらして畑で働いていたら、その汗の一つが地面にこぼれて、そこに真っ白い百合の花が咲いた。その花が毎日きれいな歌を歌うので、その若者はたいそう楽しみに畑仕事に通った。
ある日、百合の花が倒れていたので、大事に家に持って帰って石臼に活ける。
若者は毎晩夜なべ仕事もしていたが、ある日、灯りの灯心がひらめいたかと思うとぱっと赤い花になり、美しい娘が現れた。
若者は娘と一緒に毎日畑仕事に夜なべ仕事にと たいそう楽しく働き、幸せに暮らした。しかし、やがて一財産できるようになると若者は遊びに興じて、仕事をしなくなってしまった。娘は嘆き、また昔のように働いて暮らそうというが、若者は受け入れない。
娘はさびしく毎晩夜なべ仕事をしていたが、ある時また灯りの灯心がひらめいたかと思うと赤い花になり、そこから金鶏鳥が現れて娘を連れて行ってしまう。
若者は大変悲しんだが、ますます遊び歩くようになり財産もなくしてしまう。ある時、最後の敷物も売ってしまおうとめくると、そこには娘の残した刺繍した布が現れた。その布には、二人が楽しく質素に働きながら暮らしていた様子がきれいに刺繍されていたのをみて、若者は心を入れ替えてまた働きに精を出すようになる。
娘はそうした若者のところに戻ってきて、また一緒に今度は末永く幸せに暮らしましたとさ…という話。
この手のお話は娘が去っていってしまって「ああ、しまった」と若者が嘆き悲しんで終わるというのが、日本の昔話の定石であるように思われる。
でもこの絵本はハッピーエンドだなぁ。
物事はやり直せるのだ、というのがテーマなのか。
読んでいてふとパールバックの「大地」を思い出しました。
ああ読み返したい。
? posted by Yumikoit at 01:55 pm TrackBack [0]
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